『金狼の遺言ー完全版ー』(辰巳出版)で上田馬之助がジャイアント馬場の冷遇と「密告の新事実」を激白しているが…


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『金狼の遺言ー完全版ー』(辰巳出版)で上田馬之助がジャイアント馬場の冷遇と「密告の新事実」を激白しているが…
『金狼の遺言 ー完全版ー』(辰巳出版)を読んだ。遺言というが、眼目はジャイアント馬場との確執である。全日本プロレス時代冷遇され、大熊元司の葬儀にも声をかけてもらえなかったことを怨んでいる。意見は自由だが、第三者的に疑問符のつく箇所がある。



『金狼の遺言 ー完全版ー』は、簡単に述べれば昭和プロレスラーとして生きた自伝である。

一般に自伝は、自分の都合の悪いことは書かないか、後付の理屈で美化したりするかである。

言論の自由だから、それ自体期構わない。

ただ、プロレス界では昭和プロレス随一の「人格者」ともいわれる上田馬之助にとって、ともすれば晩節を汚したといえなくもない疑義が何点かあるので、それも「言論の自由」として指摘しておきたい。

今さらの「対等合併」説主張

一つ目は、日本プロレス勢の、全日本プロレス合流時の「冷遇」についての愚痴である。

上田馬之助も、大木金太郎同様、全日本プロレスと日本プロレスは「対等合併」のつもりだったとある。

が、つじつま合わせのデタラメか、いい年して社会のルールも知らない世間知らずか、どちらかとしか解しようがない言い分だろう。

合併なら、どちらかの会社を残存し、どちらかを清算するという手続きをするし、新会社は誰を役員にするのか、合併する会社の役員が話を詰める。

しかも、対等合併なら、残存会社への役員送り込みは当然あるはずで、当時、日本プロレスでは大木金太郎やグレート小鹿がレスラー兼役員だったはずだから、彼らにそうした話はあるはずである。

もしくは、上田馬之助を含めて、レスラーが当然確認することだろう。

しかも、選手の契約は、プロレス会社ではなく日本テレビだったのだ。

合併後の会社と契約するのが当然であり、そこになぜ上田馬之助は疑問を持たなかったのか。

よしんば、それまで対等合併と信じていたとしても、その時点で、この契約はいったいどういうことか、親方は誰で、どこの会社で仕事をするのかを確認しなかったのか。

それとも上田馬之助は、アメリカでは、誰がボスかもわからないままリングに上っていたというのか。

日本プロ・レスリング興行株式会社については、私は登記簿謄本も取っている。

日本プロ・レスリング興行株式会社

それによると、解散は平成8年(1996年)に「平成8年6月1日平成2年法律第64号附則第19条第1項の規定により解散」と記載されている。

これは民法上の「解散みなし」にあたる。

その解説は措くとして、とにかく団体が崩壊した1973年から23年もたっている。

要するに、日本プロレスは、興行的には「崩壊」しても、団体運営会社の登記上は清算も解散もしていなかったのである。

では、全日本プロレスに、日本プロレスの運営や権利を委ねる事業譲渡だったのか。

それも違う。

全日本プロレスは「日本プロレス」の名称やリングや権利など一切使っていないし、チャンピオンベルトやトロフィーなどは、芳の里に給料を払う形で金銭譲渡しているからまた別の話である。

つまり、日本プロレスの選手が、日本テレビ預かりで、実質子会社の全日本プロレスのリングに上っただけの話である。

それで「対等合併」などといっても誰も相手にしない。

それは、どこをどうとっても「対等合併」とはいわないし、そう思い込むことにも全く同情も正当性もない。

冷遇を愚痴る「人格者」

全日本プロレス合流後の開幕戦。

日本プロレス勢

いきなり、上田馬之助と伊藤正男が取り組みから外れた。

その後も、毎興行、何人かの“あぶれ”が出た。

厳密に計算はしていないが、どうもあぶれた回数は、上田馬之助と松岡巌鉄が多かったらしい。

結局、2シリーズとちょっと出て、上田馬之助は全日本プロレスを離脱した。

上田馬之助は、その「冷遇」をもって、元インタータッグ選手権者で同じ釜の飯を食った自分を冷遇するのは「常識以前の問題」などと憤慨しているが、上田馬之助の言い分はおかしい。

当時、全日本プロレスには、助っ人参戦のマティ鈴木を加えると10人の所属選手がいた。

それに、合流シリーズには、7人の外人招聘も決まっていた。

当時は7~8試合で、1~2試合のタッグマッチが組まれていたから、この17人で本来間に合うのである。

そこに、頼みもしないのに9人もやってくれば、誰かがあぶれる。

全日本プロレス

誰をあぶれさせるか。

経営者でもあり、マッチメーカーでもある立場なら、伸びしろもなく客ももっていないベテランに遠慮してもらうのは当たり前だろう。

言い方を変えれば、上田馬之助にもっと人気があったら、ジャイアント馬場は嫌でもカードを組まざるを得なかった。

げんに、その数年後にタイガー・ジェット・シンを追って再び全日本プロレスに戻った時は、インタータッグまで取っているではないか。

全日本プロレスにとって、当時の上田馬之助は興行上補強とはならない余剰レスラーだったことにほかにならない。

つまり、マッチメークに文句をいうところではなく、プロとして恥じることなのである。

ましてや、アントニオ猪木クーデター事件のしこりのある上田馬之助と、生え抜きメンバーの大熊元司と合わず、後輩イジメで人格にも疑問符のつく松岡巌鉄を最優先して干す選択が、「常識以前」とも思えない。

「同じ釜の飯」という言い草も、失笑を禁じ得なかった。

全日本プロレスと日本プロレスは、客観的に見て商売敵だろう。

だからこそ、グレート小鹿は、ダラスのフリッツ・フォン・エリックに「全日本プロレスにはいかないでくれ」とストップを掛け、ロスのミスター・モトにも協力しないよう手を回したのではないのか。

そのご褒美で、フリッツ・フォン・エリックは「アイアンクローシリーズ」に招聘され、インタータッグまで大木があっさり2フォール取られて戴冠させたのではないのか。

ジャイアント馬場の立場からすれば、自分が独立する時、ついてきてくれた生え抜きを大事にするのが当たり前だろう。

日本プロレスからの合流組に対して「今更遅せぇよ」と思って当然である。

馬場の16文をちゃんと受けなかった

上田馬之助は。望むレスラーの条件五箇条として、

1.基本がしっかりできている
2.誰が見ても体がレスラーに見える
3.打たれ強い
4.客と勝負できる
5.いざというときセメントで勝負できる

とある。

これも、「馬場よ、お前はいくつあてはまるかな」というあてつけの行間を読み取れるが、翻って上田馬之助にはいくつあてはまるのだろう。

腹の出た上田馬之助には、全くアスリートとしての凄みは感じなかった。

そもそも、ジャイアント馬場の16文を、いつも正面から受けずに半身で受けて倒れていたのは誰だろう。

Youtubeでもいい。当時の動画を振り返ってもらいたい。

上田馬之助が、ジャイアント馬場の16文キックを正面から受けている場面は1度でもあるだろうか。

私は見たことがない。

そんなのが「打たれ強い」と唱えても、「おまゆう」のそしりは免れないのではないか。


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密告事件の上田馬之助の「新事実」の自家撞着

本書のハイライトは、やはりアントニオ猪木クーデター事件の「新事実」とする証言だろう。

上田馬之助は、自分が密告した裏切り者になっているが、本当の密告者はジャイアント馬場である、という説だ。

「当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」として、「証拠となるメモも残っている」と語っているが、それは公表されていない。

あるとする証拠すら出していないので、そもそも論外だが、マジレスすれば、当時のレスラーや関係者で、誰もこの説にのってこないのはどういうわけだろう。

上田馬之助は、人格者でレスラー間でも人望があったのではないのか?

そして、ジャイアント馬場は亡くなっているのだから、死人に口なしでなんでも言えるはずだ。

なのに、誰も同調しないのはどういうことか。

それは、上田馬之助の言い分がどちらにしてもおかしいからである。

ジャイアント馬場が真犯人であるかどうかはひとまず措くとして、上田馬之助の言うとおりなら、「私は猪木はクーデターとは思わない」となぜ宣言しなかったのか。

なぜアントニオ猪木をかばい、自分の潔白を述べて、それで居づらくなったら、アントニオ猪木と行動をともにするなり、アントニオ猪木にわかってもらえなかったならアメリカにでも行くなり、アメリカに日本プロレスから回状が回っていたら、潔くプロレスを諦めて、廃業するなりしなかったのか。

「とてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」などと被害者のような書き方だが、要するに「罪」の所在を問題にしているだけで、「罪」の対象自体を上田馬之助は否定していない。

それは別の書き方をすれば、自分がアントニオ猪木を売ってでも会社に残りたかった(もしくは会社を守りたかった)か、自分もアントニオ猪木がクーデターだと思っていたか、論理的にどちらかしかありえないではないか。

それ以外のロジックがあるのならぜひ知りたい。

自伝だから綺麗事でもいい。

だからこそ、余計なことは書かず、きれいな思い出だけをかけばよかったのではないだろうか。

金狼の遺言 ―完全版― (G SPIRITS BOOK) -
金狼の遺言 ―完全版― (G SPIRITS BOOK) –