ジャイアント馬場対ゴリラ・モンスーン、第11回ワールドリーグ戦の真相はアントニオ猪木の初優勝と深く関わっていた

ジャイアント馬場対ゴリラ・モンスーン、第11回ワールドリーグ戦の真相はアントニオ猪木の初優勝と深く関わっていた
ジャイアント馬場対ゴリラ・モンスーンは、第11回ワールドリーグ戦の開幕戦に行われた(蔵前国技館)。ジャイアント馬場はゴリラ・モンスーンに敗れ、アントニオ猪木はボボ・ブラジルに敗れるという波乱の幕開けは、馬場一強時代からBI時代への移行を意味した。

アントニオ猪木とNETがキーワードだった優勝者決定

昭和プロレス史上、大きな節目となるジャイアント馬場対ゴリラモンスーンの第11回ワールドリーグ戦予選の模様である。

このシリーズの途中で、NETの日本プロレス中継決定の記者会見が行われた。

プロレスファンならご存知と思うが、そこにジャイアント馬場と坂口征二は出ない。

アントニオ猪木が、その中継ではトップになる。

つまり、アントニオ猪木を、ジャイアント馬場と同格にしなければならない。

もとより、ジャイアント馬場もワールドリーグ戦は3連覇して、そろそろ新しいスターが出てきてもいいかもしれない。

ということで、第11回ワールドリーグは、アントニオ猪木優勝の機運が高まった。

問題は、どう優勝させるかだ。

アントニオ猪木を優勝させるためにモンスーン脱落か

ジャイアント馬場の格を落として、アントニオ猪木を浮上させることは、日本テレビが許すはずがない。

またそれは、日本プロレスとしても損失である。

あくまでも、ジャイアント馬場の価値を落とさずに、今回はアントニオ猪木に花を持たせる形にしたい。

そこで、第11回ワールドリーグは、ジャイアント馬場もアントニオ猪木も出場する同点決勝から、くじ運でアントニオ猪木が優勝するという、昭和プロレス史上もまれにみる劇的な展開となった。

外国陣営の参加者は、ボボ・ブラジル、ゴリラ・モンスーン、ペッパーゴメス、クリス・マルコフ、メディコ2号、メディコ3号、ボビー・ダンカン、トムアンドリュースの8名だった。

おそらくこの時点では、本命はジャイアント馬場対ボボ・ブラジル、もしかしたらゴリラ・モンスーン、という展開だったのだろう。

NETの話は、このブッキングと並行的に進められ、もしNETの話が流れたり、遅れたりしたら、祖の組み合わせだったかもしれない。

しかし、NETが決定した。

さすれば、決勝戦はジャイアント馬場からアントニオ猪木に差し替えればいいかというと、そう単純なものではない。

繰り返すが、アントニオ猪木が、ジャイアント馬場を超えることはない。

それはいきおい、アントニオ猪木はジャイアント馬場の好敵手に勝ってはならないことも意味している。

だから、アントニオ猪木対ボボ・ブラジルの決勝戦では困るのだ。

決勝戦は、同点決勝で、かつアントニオ猪木が勝ってもよい相手でなければならい。

そこで抜擢されたのが、クリス・マルコフである。

そして、ジャイアント馬場には、過去に敗れたことがあるボボ・ブラジルがあてられた。

ボボ・ブラジルは、その前年に、いったんはジャイアント馬場からインターナショナル選手権を奪っている。

ジャイアント馬場が勝ち上がれないようにする相手は、ボボ・ブラジルしかいない。

ジャイアント馬場がボボ・ブラジルに勝てず、アントニオ猪木がクリス・マルコフに勝つ。

しかし、ボボ・ブラジルが勝ち上がってしまったら困るので、ジャイアント馬場とボボ・ブラジルは、共倒れでなければならない。

共倒れだから、勝ち上がれはしないが、負けてもいない。

アントニオ猪木がクリス・マルコフに勝つ。

クリス・マルコフだから勝てたんだ、と思われるかもしれないが、勝ちは勝ち。

それでアントニオ猪木の幸運な優勝。

ジャイアント馬場は「クジ運が悪かった」から4連覇できなかった。

今にして思うと、とてもダラ幹だけが考えたストーリーとは思えない。

おそらくは、日本テレビ主導ではないだろうか。

だが、このストーリーでは、割を食う人間が2人いた。

ペッパーゴメスも白星配給係に

ひとりは、ゴリラ・モンスーンである。

下記の実況起こしでご確認いただきたいが、放送でも、ゴリラ・モンスーンは「副将格」と紹介されていた。

もちろん、大将はボボ・ブラジルである。

つまり、2番手であることのお墨付きを得ていたのだ。

その「副将格」をどうやって脱落させたか。

5月2日の長崎大会、テレビ生中継の試合で、よもやの山本小鉄相手に、秒速フォールで無理やり負けさせたのである。

山本小鉄は男泣きして、最後の上梓になった『山本小鉄の人生大学プロレス学部』(実業之日本社、2008年)でも、思いだに残る試合に挙げている。

そういう負け方なら、ゴリラ・モンスーンに傷はつかないし、誰も、「山本小鉄はゴリラ・モンスーンより上」とは思わないだろう。

日本プロレスはその3年後、“おわび”のつもりか、ゴリラ・モンスーンを第14回ワールドリーグ戦に「大将格」で招聘。

ゴリラ・モンスーンは、前年の第13回大会に決勝に出た、アブドーラ・ザ・ブッチャーよりも高得点で決勝に進出している。

もうひとりは、あまりプロレスマニアも触れないが、ペッパーゴメスである。

本来、ペッパーゴメスはもっと期待された存在だった。

1950年代後半から60年代にかけて、ダラスやヒューストンなどテキサスの東部地区、さらにサンフランシスコ地区で活躍し、日本プロレス界には「未知の強豪」だった。

日本プロレスが、ジャイアント馬場とたたかえる体躯を重視し、過去にもレイ・スチーブンス、ネルソン・ロイヤルらが、思ったほど重用されなかったので、ペッパーゴメスが、ボボ・ブラジルやゴリラ・モンスーンを抜いてナンバーワンになるのはむずかしかったかもしれない。

しかし、クリス・マルコフが決勝に出て、自分が白星配給係だったことには、大きく傷ついたのではないか。

この大会は、アントニオ猪木の幸運な優勝以外に、凱旋帰国したワールドリーグ戦初参加の坂口征二の扱いをどうするか、という問題もあった。

その時点では、四天王(ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎、吉村道明)を超えさせる訳にはいかない。

大木金太郎と吉村道明

しかし、無様な成績にもできない。

そこで、坂口征二は5勝2敗1分というまずまずの成績を収めさせた上で、大木金太郎と吉村道明が、それを上回る成績を上げなければならなかった。

結果的に、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が6勝1敗1分、大木金太郎と吉村道明が6勝2敗という、ワールドリーグ史上、最高の混戦になってしまった。

それは、外国陣営にしわ寄せが行った。

日外対抗戦だから、日本陣営の成績が上がれば、外国陣営の負けが増える。

ボボ・ブラジルは吉村道明に負け、ゴリラ・モンスーンはアントニオ猪木と大木金太郎に負けたが、ペッパーゴメスも、四天王プラス坂口征二には全敗の3勝5敗に終わった。

ペッパーゴメスは、自分を登用しなかったことを怨み、2度と日本の土は踏まなかった。

実況の内容

ジャイアント馬場、145キロ、2メートル9センチ145キロであります。

一方は、外人勢の中で副将格かと思われますゴリラモンスーン。

前AWA、USヘビー級チャンピオンであります。

1メートル96センチ。なんと163kgの巨体であります。

ワールドリーグ30分1本勝負が行われます。

外国陣営、日本陣営8名ずつの選手の、総当たりで行われておりますワールドリーグ戦。

初日から巨人同士の対決となりました。

ジャイアント馬場、まず腕を取りました。

ジャイアント馬場、まず腕を取りました

ゴリラの強烈な力、柔軟な体躯であります。

自然の猛威を物語るモンスーン。

力強い名前を持っております、ゴリラ・モンスーンであります。

ヘッドロックに捉えられましたジャイアント馬場。

イタリア系のアメリカ人でありますゴリラモンスーン。

じーっとモンスーンの動きを見つめますジャイアント馬場。

チョップ送り出しましたモンスーンであります。

これも(ジャイアント馬場の)得意技ジャイアンチョップ脳天割り。

ちょっとこらえましたゴリラモンスーン。

4連覇への大きな 相手となります、ゴリラモンスーン と争いますジャイアント馬場 選手です。

ヘッドロックが喉にかかりました。

左腕でヘッドロックに巻き返しました モンスーン。

ロープブレイク鮮やかに手を離しましたモンスーンに対して 反撃に出ましたジャイアント馬場であります。

髭をかきむしった。

さらに首投げに行きましたジャイアント馬場。

ジャイアントショップ脳天割り からマットに頭を打ち付けました(ジャイアント馬場 )。

またもジャイアントチョップ。

たまらず場外へ転落しました 163キロです。

ゴリラ・モンスーン場外転落

カウントが行われます。

カウント20以内に戻らなければなりません。

馬場エンジンがかかりました。

待ち構えるジャイアント馬場。

ジャイアントショップ脳天割り。

タイミングをとるかモンスーン。

16文を飛ばします。

39センチありますリングシューズ。

日本の巨人、インターナショナルチャンピオン、ジャイアント馬場選手であります。

(ゴリラ・モンスーンを)コーナーへ打ち付けた(ジャイアント馬場)。

またも39センチ のリングシューズを飛ばした (ジャイアント馬場)。

ジャイアンチョップを胸元へ。

ボディにキックを見舞います。

わずかに反撃、ゴリラ・モンスーン。

しかしモンスーンの反撃、ベアハッグです。鯖折り。

ジャイアント馬場苦しがります。

ロープに逃れました。

巨体と怪力に物を言わせます、ゴリラ・モンスーン。

頸動脈、これを鷲掴みにいたします (ゴリラ・モンスーン)。

クローとクロー。

馬場も足を飛ばしました。

巨体と巨体がぶつかり合いますリング上。

ワールドリーグ、絶対に負けられない 30分1本勝負。

またもベアハッグであります(ゴリラ・モンスーン)。

足を飛ばしました(ジャイアント馬場)。

馬場の攻撃、ジャイアントチョップ。

ジャイアントチョップ、カウンター打ち。

前AWA US ヘビー級チャンピオンを 投げつけましたジャイアント馬場。

(モンスーンが2で起き上がり)体固めの体制は不十分。

しかしまだまだ油断はできません。

(とアナウンス後、ゴリラ・モンスーンをロープに飛ばしたジャイアント馬場は32文を自爆)

おっと、32文ドロップキック

32文ドロップキック自爆

しかし(自爆でゴリラ・モンスーンの)フライングボディープレス。

163 kg の巨体が覆いかぶさりました。

163 kg の巨体

(沖識名カウントを数える。3つめでジャイアント馬場が起き上がったように見えたが)カウント3。

日本のチャンピオン 過去3連覇のジャイアント馬場選手敗る。

ゴリラ・モンスーンの手が挙げられました。

カウント3。

ジャイアント馬場、レフェリーの沖識名に抗議を行います。

ジャイアント馬場、レフェリーの沖識名に抗議

カウントが早すぎるという抗議でありましょう。

ゴリラ・モンスーン、ジャイアント馬場のフライングキック失敗の間隙をつきまして巨体を浴びせました。

フライングボディプレスカウント3。

ゴリラ・モンスーン

ワールドリーグ30分1本勝負は ゴリラモンスーンの勝ちと決まりました。

試合後の感想

試合を見るとわかるが、この時点でジャイアント馬場に決定的な衰えは見られない。

それどころか、むしろ、ジャイアント馬場がなぜアントニオ猪木よりも(この時点で)上なのかがわかる試合内容だ。

たとえば、試合当初、ゴリラ・モンスーンがヘッドロックからパンチを浴びせて、「グーではなくパーだよ」とゼスチャーをすると、

ゴリラ・モンスーン「グーではなくパーだよ」

ジャイアント馬場も同じことをやって返して客席を温めた。

ジャイアント馬場「グーではなくパーだよ」

アントニオ猪木は日本プロレス時代、このアドリブができなかった。

要するに、お客さんを見ていなかった。

当時ジャイアント馬場に、「猪木は生真面目なところがまだまだだ」みたいなことを言われていたが、アントニオ猪木は、強くなりたいという一心で、「そんなおふざけできるか」と思ったのかもしれない。

しかし、プロレスラーにとって大事なことは、お客さんをいかに楽しませるかなのである。

約6分の試合で、大半はチョップ、キック、パンチで、サバ折りぐらいしかやっていないのに試合は面白い。

お互いの試合運びが巧いのと、体が大きいからだろう。

ジャイアント馬場がサバ折りで苦しがると、こりゃ厳しい攻めなんだなと説得力もある。

何より、ジャイアント馬場とゴリラ・モンスーンに信頼関係があることが大きいのではないだろうか。

だから、アドリブも出る。

ザ・デストロイヤーとの試合もこんな感じである。

信頼関係がない不穏さも面白みとしてあるかもしれないが、少なくともジャイアント馬場の場合は、信用できる人とお互いの良さを披露し合うような試合が合っているのではないだろうか。

それはさておき、とにかくジャイアント馬場は、この敗戦で、ワールドリーグ優勝4連覇を逃した。

追われる者は、追う者に比べて、1敗の意味が大きい。

ジャイアント馬場時代の「終わりの始まり」とはいつか?
ジャイアント馬場時代の「終わりの始まり」はいつか。昭和プロレスは、ネットでも様々なブログやサイトで振り返られて…

この記事で書いたが、ジャイアント馬場時代の「終わりの始まり」は、ボボ・ブラジルに敗れて、インターナショナル選手権を奪われた試合である。

それは、たんにその試合でジャイアント馬場の価値が損なわれただけでなく、それが伏線となって、今回の第11回ワールドリーグ戦の「猪木優勝」につながっているのだ。

ジャイアント馬場は、一介のレスラーとして仕事をしただけだろうが、日本プロレス史的には大変重い試合だったことが改めてわかった次第だ。

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