デビル紫という、元国際プロレスのレスラーをご存知だろうか。すでに、新日本プロレスと全日本プロレスが二大メジャー化され、国際プロレスがマイナー視されていた頃、歳を食ったベテランが前座で頑張っていた。それがデビル紫という印象だった。
『日本プロレス事件史 vol.15 引退の波紋』(ベースボールマガジン社)には、デビル紫のインタビューが掲載されている。(流智美氏執筆)
デビル紫自体、かなりコアな昭和プロレスマニアでなければわからないだろうし、そもそも引退してから35年にもなる。
しかし、たんなる懐かしさだけでなく、私達一般人にも示唆を与えてくれるような生き方や考え方であったので、今回ご紹介したい。
結論から書くと、デビル紫は引退後、堅実に第2の人生を送り、今はちゃんと年金生活をしている。
華やかな現役生活が忘れられないのか、第二の人生をきちんと送れない元プロレスラーは少なくない。
デビル紫の生き様は、以下のことをまとめることができる。
1.会社からは大事にされなくても、自力でプロレス人生を切り開いた
2.決してツイている人生ではなかったけれど、やけを起こさずまじめに生きた
3.40歳から勝手の違う第二の人生(サラリーマン)を始めても、ちゃんとつとめあげた
4.努力した生き様が時間がたって成果として現れた
別に、デビル紫は、自己啓発セミナーの講師や、宗教者のようなつもりで、読者に説教などしていない。
筆者がそのように感じたということである。
ともすれば会社に不満ばかりで、自分はその打開に何もしようとしない人がいる。
環境が変わるとそこで負けてしまう、人生の先を勝手に見通して諦めてしまう弱さがある。
デビル紫の人生観には、そうならない勇気と努力と忍耐があったので、そう感じたのである。
では、具体的に、記事にはどう書いてあったのか、かいつまんでご紹介しよう。
堅実に第二の人生を勤め上げる
デビル紫こと村崎昭男氏は、ストロング小林とほぼ同期である。
つまり、国際プロレスの創設とほぼ同時に入団してプロレス人生を始めている。
しかし、会社からはまったく期待されていなかったようだ。
そのストロング小林は、格闘家の前歴もないのに、幹部候補生としてアメリカに遠征。
帰国後は「200連勝」などというギミックを与えてもらい、あっという間にメーン・イベンターになってしまった。
一方、村崎昭男はずっと前座のままだった。
国際プロレスができてから入団した、マイティ井上、アニマル浜口、鶴見五郎、剛竜馬らにも抜かれてしまった。
同期だけでなく、年下の後輩にまで、次々海外武者修行のチャンスをもらっているのに、自分はいつまでも前座のままだ。
そこで、会社がハワイに慰安旅行に行った時、社員から金を借りて、そのまま自費でアメリカに残ったという。
ここで勝負に出なかったら、もう自分はダメだ、という気持ちだったに違いない。
そして、デビルムラサキという覆面レスラーとして、会社に頼ることなくアメリカのインディアナポリス地区で人気レスラーになった。
だが、それでも会社からは帰国の話はありません。
3年半後に、また自費で帰国するものの、国際プロレス(吉原功代表)は“日本人初の本格覆面レスラー”であるにもかかわらず、デビル紫を売りだそうとはせず、相変わらず前座のままだった。
当時、国際プロレスはラッシャー木村と金網デスマッチを興業の柱にしていたので、デビル紫の使い方まで行き届かなかったのだろう。
ほかにもチャンスがないわけではなかった。
全日本プロレスができたとき、国際プロレスは毎シリーズ選手を貸し出していたが、デビル紫もそれで派遣されたことがあった。
そのときは、手薄な日本陣営に悩むジャイアント馬場から、「ウチにこないか」と誘われたという。
げんに、グレート草津とうまくいかなかった肥後宗典は、それで移籍している。
しかし、デビル紫はその話を断り、自分を認めてくれない国際プロレスに残った。
やはり、国際プロレスは自分の原点だからか。
そのまま移籍したら、中途半端で逃げ出すような思いがしたのかもしれない。
そして、その後もさしたるチャンスもなく、37歳で引退する。
1年間、営業にまわったが、38歳で今度は国際プロレスが倒産してしまった。
倒産前は、レスラーにギャラが入らず、巡業時はビールをたかられたという。
そして、39歳で結婚。
その頃は定職が見つからず仕事を転々とし、40歳で警備会社に就職した。
終身雇用制が崩れている今の日本だが、それでも40歳の第二の人生というのは大変だ。
だいいち、65歳の年金まで25年しかない。
年金受給資格は25年だ。
つまり、40歳までに年金未加入なら、ギリギリである。
しかし、デビル紫は、年金の受給資格まで(つまり25年間)つとめあげ、ギリギリ定年前に年金の受給資格をクリアしたという。
そして、現在は年金で悠々自適の老後で、孫にも恵まれたという。
国際プロレスが、もう少しデビル紫を大事にしてもよかったのではないかと思うが、とにかく、デビル紫はサラリーマンになってからは、プロレス関係のイベントには一切参加していなかった。
が、最近になって、やっと参加する気持ちの余裕ができたという。
プロレスファンだけでなく、第二の人生が不安なプロレスラーもトークショーに参加してはいかがだろうか。
日本プロレス事件史 vol.15 引退の波紋 (B・B MOOK 1253 週刊プロレススペシャル) –
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