「 アントニオ猪木 」一覧

ジャイアント馬場対ゴリラ・モンスーン、第11回ワールドリーグ戦の真相はアントニオ猪木の初優勝と深く関わっていた

ジャイアント馬場対ゴリラ・モンスーン、第11回ワールドリーグ戦の真相はアントニオ猪木の初優勝と深く関わっていた

ジャイアント馬場対ゴリラ・モンスーンは、第11回ワールドリーグ戦の開幕戦に行われた(蔵前国技館)。ジャイアント馬場はゴリラ・モンスーンに敗れ、アントニオ猪木はボボ・ブラジルに敗れるという波乱の幕開けは、馬場一強時代からBI時代への移行を意味した。

コブラツイスト、ジャイアント馬場とアントニオ猪木から考える

コブラツイスト、ジャイアント馬場とアントニオ猪木から考える

コブラツイスト。相手の身体に自分の手足をブドウのツタのように巻きつけ締め上げる。日本名はアバラ折りという。昭和プロレスではアントニオ猪木の得意技だったが、ジャイアント馬場が使うようになってから必殺技は卍固めに切り替えている。懐古しよう。

京愛子と岡田京子時代の女子プロレスが登場『関東テキ屋一家』

京愛子と岡田京子時代の女子プロレスが登場『関東テキ屋一家』

京愛子と岡田京子。これは昭和プロレスファンでも、必ずしもご存知でないかもしれない。黎明期の女子プロレスを競ったツートップである。その頃の動画はもはや残っていないと思われたが、『関東テキ屋一家』(1969年、東映)のお祭りシーンに登場した。

ジャイアント馬場『喜劇駅前茶釜』で“ラブシーン”まで経験した

ジャイアント馬場『喜劇駅前茶釜』で“ラブシーン”まで経験した

ジャイアント馬場が、アメリカのサーキットを中断して帰国したのが1963年。第5回ワールドリーグ戦に参加するためだが、すでにその頃は集客も風格も、日本陣営では先輩たちをごぼう抜きして力道山との2枚看板だった。その頃の国内人気はどうだったのか。

国際プロレス日本側外国人第一号はビル・ロビンソンではなかった

国際プロレス日本側外国人第一号はビル・ロビンソンではなかった

国際プロレスを懐かしむ投稿を本日のFacebookのタイムランで拝見した。そこには、豊登道春、サンダー杉山、ラッシャー木村、ストロング小林、グレート草津らの画像が並ぶが、それはTBSプロレス時代の布陣。そのときのヒーローはビル・ロビンソンだった。

乗り物酔いをする母親を気遣って、電車で東京見物をしたジャイアント馬場のエピソードは泣けてくる『ジャイアント台風』

乗り物酔いをする母親を気遣って、電車で東京見物をしたジャイアント馬場のエピソードは泣けてくる『ジャイアント台風』

『ジャイアント台風』といえば、『少年キング』に連載されていた、ジャイアント馬場の自伝の体裁をとった昭和プロレスを代表するプロレス漫画である。『タイガーマスク』とともに梶原一騎(高森朝雄)と辻なおきのコンビでプロレス人気に大いに貢献した。