ジャイアント馬場が、アメリカのサーキットを中断して帰国したのが1963年。第5回ワールドリーグ戦に参加するためだが、すでにその頃は集客も風格も、日本陣営では先輩たちをごぼう抜きして力道山との2枚看板だった。その頃の国内人気はどうだったのか。
冒頭の左の画像は、ジャイアント馬場が、ザ・ピーナッツと週刊誌の表紙を飾っている写真である。
ザ・ピーナッツが、このとき芸能界のスターであったことはいまさらる説を要しまい。
そして、一般誌では、力道山以外、このような扱いを受けたプロレスラーはいない。
ジャイアント馬場自身、巨人時代は2軍だったから、このような経験はないだろう。
20代の馬場正平と、ザッピーナッツ、なかなかサマになっているのではないだろうか。
そして、右の画像は、『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)のワンシーンである。
村祭りに飾られている茶釜を狙って、村の悪漢たちがやってきた。
それを、馬場正平演じる小原庄平が、悪漢たちと戦って茶釜を死守。
当時20代(昭和30年代後半)のジャイアント馬場の身体能力が、十分に伝わる大立ち回りを演じている。
ところが、活躍に興奮した横山道代のキスの祝福を受けると、びっくりして気絶し、
そのとき茶釜を下敷きにして、せっかく死守した茶釜を壊してしまうというオチである。
つまり、タイトルにラブシーンと書いたが、相思相愛の抱擁ではなく、ほっぺにチュの軽いものである。
それでも、プロレスラーが、ここまで踏み込んだ役を演じるのは、『チャンピオン太』の力道山以来である。
そして、悪漢たちの中には、5人組が出てくるのだが、それは、日本プロレスのレスラーたちであり、また顔ぶれが昭和プロレスではおなじみの面々である。
大熊元司、星野勘太郎、吉原功、北沢幹之(高崎山猿吉、高崎山三吉、新海弘勝、魁勝司)、駒秀雄(マシオ駒)らである。
中央の警官(加東大介)のとなりから大熊元司、マシオ駒、星野勘太郎、吉原功、顔は隠れているが黄色いシャツは魁勝司だ。
大熊元司とマシオ駒は、この頃から、ジャイアント馬場の付き人だった。
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吉原功は、後の国際プロレスの社長である。
星野勘太郎は、ヤマハブラザーズの星野勘太郎。
2人とも、ジャイアント馬場との関係は悪くない。
注目すべきは北沢幹之。
バリバリのアントニオ猪木派といわれている。
この頃、アントニオ猪木は、『チャンピオン太』で死神酋長を演じていたが、一緒に悪役で出ていたのは、大木金太郎や小鹿信也(グレート小鹿)だった。
北沢幹之がジャイアント馬場のグループに入り、グレート小鹿がアントニオ猪木と行動をともにするという“ねじれ”は、その後の昭和プロレス史を考えると実に興味深い。
ジャイアント馬場の大立ち回りを相手する5人のレスラー
せっかくなので、『喜劇駅前茶釜』のストーリーを追ってしまおう。
『喜劇駅前茶釜』は、全24作ある「喜劇駅前シリーズ」の第6作目。
伝説の茶釜で知られる寺の住職(伴淳三郎)に対して、そこに出入りする骨董商(森繁久彌)、写真館主(フランキー堺)が「本物の茶釜」を持ちだして一騒動しかけるストーリーだ。
Youtubeにアップされている「予告編」には、「16大スターがウデを競う」という群像喜劇らしいテロップが出ている。
「16大スター」を数えると、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、淡島千景、淡路恵子、三木のり平、池内淳子、加東大介、沢村貞子、有島一郎、中尾ミエ、若林映子、横山道代、左卜全、山茶花究、そしてジャイアント馬場を入れると16人になる。
ジャイアント馬場は、この時点ですでにスターとしての勘定に入っていたのだ。
まず最初に大熊元司をすくい投げ。
星野勘太郎をヤシの実割り。
星野勘太郎はレスラーとしては小さいので、ジャイアント馬場は持ち上げており、星野勘太郎は爪先立ちである。
吉原功に16文キック。後の国際プロレス社長のやられっぷり豪快すぎ。
魁勝司はボディスラムで叩きつけるが、かなり強烈な音がした。
マシオ駒には、フランキー堺と合体してフランキー堺がドロップキックを食らわしている。
当時のプロレスの動画は殆ど残っていないので、ジャイアント馬場だけでなく、他のレスラーの若い頃を見るという意味でも、『喜劇駅前茶釜』は昭和プロレスファン必見である。
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