ザ・デストロイヤーの話である。来日した昭和プロレスの外人レスラーの中で、覆面レスラーナンバーワンは誰か、といわれれば、当然ドリーム・マシーン、もとい、ザ・デストロイヤーで異論はないだろう。では、どの試合でそう思ったか、それを書こう。
覆面レスラーの来日でいえば、Mr.アトミックをまず挙げねばならないだろう。
日本のプロレス界に覆面レスラーとして登場し、観客や視聴者の度肝を抜いた第1号はミスター・アトミックとされている。
Mr.アトミックが、顔を隠した覆面姿で登場したこと自体がミステリアスに見えたし、覆面に凶器を入れて攻撃するというファイトが、実に凶悪さにおいて当時の観客から見れば新鮮だっと思う。
そのMr.アトミックと力道山は、第1回ワールドリーグの準決勝で対戦した。
凶器頭突きに怒った力道山が、アトミックを制裁するはずだったが、レフェリーが本職ではない現役レスラーの狂犬ダニーブレッチェスだったためか、アトミックを反則勝ちにしてしまった。
それでは、力道山が敗退で優勝できなくなってしまう。
そこで、ミスターアトミックが怪我で決勝戦棄権したということにして、決勝は力道山が復活して優勝して事なきを得た。
力道山が負けたのまでが筋書きのウチ、と見るべきだろうか。
しかし、力道山はルーテーズ以来ガイジンに敗れていないし、外貨をどこからか集めて大勝負したワールドリーグの優勝を、すっきりしない形で終わらせることは考えにくい。
当時の観客のニーズから見ても、ハプニングの「反則負け」だったのではないだろうか。
もっとも、決勝の相手のジェス・オルテガも、エンリキトーレスと引き分けだったのを、コインの裏表当てで勝ち上がってきたので、決勝戦に何の説得力もないいい加減なリーグ戦と言わざるを得なかった。
もともと、力道山・豊登時代のワールドリーグ戦は、ルールも星取表もかなりいいかげんであり、プロレスマスコミも、それに対して何も書けないという弱腰ぶりだったのだが。。
とにかく、そんなリーグ戦でも、いったん下火になったプロレス人気が回復したのだから、ミスター・アトミックのお化けぶりは全国で注目されたのだろう。
以来ワールドリーグには、グレート・アントニオだの、ザ・マミーだの、ザ・コンビクトだのといった怪奇レスラーを入れるようになった。
漫画&ドラマになった「アトミックのおぼん」は、時期的にMr.アトミックから名前を取ったものだろう。
ただミスター・アトミックは、決してプロレスが巧いレスラーでもなく、強い印象もなかった。
ジャイアント馬場がエースの頃は、60分3本勝負でストレート負けしていたから、もう往年の力はなかったのだろう。
その点、覆面レスラーのミステリアスさを引き継ぎながらも、レスラーとしての巧さや強さで、日本マット界に君臨したのが、ザ・デストロイヤーである。
第5回ワールドリーグ戦決勝戦で、キラー・コワルスキーへのビンタで鮮烈デビューをはたしたザ・デストロイヤー。
当時、日本マット界で無名のザ・デストロイヤーを売り出すため、キラー・コワルスキーが提案したパフォーマンスとのことだが、実際のファイトで、それに応えたのがザ・デストロイヤーである。
視聴率が歴代4位といわれる力道山対ザ・デストロイヤー戦は、WWA世界選手権ということになっていたが、ザ・デストロイヤーは実は無冠で、力道山が自分のベルトを試合前コミッショナーに返還していた。
ともに『日本プロレス事件史Vol.9』より
なら最初から、インターナショナル選手権にすればいいはずだが、力道山は、自分が国際的に通用しないレスラーであることにコンプレックスを抱いており、アメリカ産のタイトルにあこがれていたのだ。
そして、力道山との信頼関係がきちんとできていなかったことから、ザ・デストロイヤーの歯が折れて血だらけになったのはハプニングである。
画像では、流血も大切なエッセンスであるが。
ジャイアント馬場が、1969年の東京都体育館で、デストロイヤーの凶器頭突きで血だらけになりながらモンキーフリップ固めを決めたのは、今にして思えば、ジャイアント馬場もあの身長で驚異的に巧かったのかもしれないが、2人の呼吸があっていたからというのもある。
結果的に、力道山との試合は、足4の字で両者レフェリーストップの引き分けとなった。
この結末は、8年後の第13回ワールドリーグ戦で、また使われることになる。
試合は引き分けでも完敗だったアントニオ猪木
ザ・デストロイヤーのベストバウトは何か。
昭和プロレス最大のミステリーとも言われている、第13回ワールドリーグ優勝戦の、対アントニオ猪木戦を挙げたい。
昭和プロレスファンなら誰でも知っていると思うが、BIの緊張関係がピークに達したのがこの時期。
第13回ワールドリーグ戦は、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の激しいデットヒードがあり、どちらも譲らず、2人は同点で予選を終了した。
その際、外人勢は、ザ・デストロイヤーと、アブドーラ・ザ・ブッチャーが進出した。
いずれ機会を改めて論考するが、決勝戦は、ジャイアント馬場対キラー・カール・コックスの予定だったと思われる。
それが、アントニオ猪木の執念で、同点までたどりついた。
しかし、日本プロレスは、アントニオ猪木に、よりセメントに強く、プロレスも巧いザ・デストロイヤーをぶつけた。
その試合で、ザ・デストロイヤーに求められたのは、引き分けのみ。
しかも、時間無制限一本勝負だったので、両者リングアウトしかない。
さすれば、かつての力道山戦の結末をもう1度使う。
つまり、足4の字のままリングアウトに持ち込む方法である。
ザ・デストロイヤーは、はやるアントニオ猪木を押さえて、見事にその結末にもってきた。
しかも、それはうさんくさい「ケツ決め」を思わせるものではなく、コブラツイストにこだわり気持ちをはやらせるアントニオ猪木を完封しての足4の字固めだった。
しかも、その間、観客にアピールする間を作り、ともすれば観客不在で殺伐とした試合になりかねないムードをやわらげた。
このへんでも、アントニオ猪木の完敗だった。
すべてにおいて、この試合でアントニオ猪木は、ザ・デストロイヤーに勝てる要素はなかった。
アントニオ猪木ファンは悔しかっただろうが、ザ・デストロイヤーの方が上だったとしかいいようのない試合だった。
余談だが、それでも、アントニオ猪木が勝った場合には、おそらくはジャイアント馬場は次の試合で、アブドーラ・ザ・ブッチャーに敗れただろう。
ザ・デストロイヤーに勝つ気はなかったが、展開上、勝ってしまうことがあったら、決勝でジャイアント馬場に敗れたのだろう。
いずれにしても、第13回ワールドリーグ戦優勝戦のキーマンは、ジャイアント馬場でもなく、アントニオ猪木でもなく、アブドーラ・ザ・ブッチャーでもなかった。
ザ・デストロイヤーだったのである。
とにかく、昭和プロレス。サイコーだ。
日本プロレス事件史 vol.9 ザ・抗争 (B・B MOOK 1192 週刊プロレススペシャル) –
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