キラー・カール・コックスのインタビューを掲載しているのは、『日本プロレス事件史16』(ベースボール・マガジン社)だ。(連載怪人伝第16回)。そこで今回は昭和プロレスの悪役の一人として名を残す、キラー・カール・コックスについて語ってみよう。
あるサイトで、後ろ髪だけ残したハゲ、いわゆる波平カットは、見てくれが大切なレスラーとしてはあまり得策ではないが、バーン・ガニアと、キラー・カール・コックスだけはそのヘアスタイルだった、という話題があった。
高校の時、ハゲるならバーン・ガニアのようなハゲ方がいいといっていた筆者の級友がいたが、決してプロレスラーとしては得策とはいえない髪型だろう。
波平カットは、強くも怖くも若くも見えない。
バーン・ガニアのそれは、やはり一介のレスラーではなく、AWAのオーナーというイメージをもたせた。
だから、こんなに長くタイトルを持っていられるんだな、などとも考えた。
一方、キラー・カール・コックスだが、あの凶悪ファイトなら、スキンヘッドにしても良かった。
しかし、キラー・カール・コックスは、スキンヘッドにして、スカル・マーフィーやブルート・バーナードのような、「冷血暴走」キャラに自分を持っていく気はなかったのかもしれない。
そこで、冒頭の画像である。
ハゲを隠すと、ドリーファンクジュニアも、バーン・ガニアも、キラー・カール・コックスも、似たように見えてしまう。
何より、この画像では、キラー・カール・コックスのタイツの色が違う。
本来キラー・カール・コックスはこういう陽気なキャラを持っていたらしく、黒いタイツでニコリともせず凶器を使ってずるい試合をするのは、日本用の悪役キャラクターだったことが『日本プロレス事件史16』には書かれている。
『日本プロレス事件史16』の内容を少しご紹介しよう。
キラー・カール・コックスは、2011年11月10日、心不全で亡くなったという(享年80歳)。
インタビューは、平成9年に流智美氏によって行われたという。
デビューは1955年。
ザ・シークと出会い、物心両面で世話になった。
サム・マソニックには嫌われたが、ジム・バーネットには高く評価されたそうである。
日本では、なんといってもジャイアント馬場との戦いがあった。
先日ご紹介した、ヒロ・マツダ、デューク・ケオムカ、エディ・グラハム、サムス・ティムボートが来た時、エース格のガイジンとして来日している。
このときは、ジャイアント馬場、吉村道明組からアジアタッグ選手権を奪い、その後も、ジャイアント馬場とは凶器攻撃を使った試合を行っている。
が、記事によると、ジャイアント馬場とは、信頼関係がきちんとできていた試合だったことを明かすくだりもある。
それ以外には、ディック・マードックとの戦いを印象深いとしている。
ディック・マードックとは、それまでタッグを組んでいたのに、ある日、ジャイアント馬場が戦ってくれといった。
理由が、新日本プロレスとの興行戦争があり、目玉カードを欲しかったからだという。
すると、キラー・カール・コックスは、「猪木のグループに行ったファンを後悔させる」と、その試合を引き受けたという。
この試合は、両者壮絶な流血戦となり、引き分けている。
このへんの件は、やはり全日本派だった、ハリー・レイスのインタビューを思い出す。
詳細は『日本プロレス事件史16』をご覧いただきたい。
キラー・カール・コックスを思い出す
では、今度は筆者が、キラー・カール・コックスについて思い出そう。
何も知らない子供の頃は、ジャイアント馬場対キラー・カール・コックス戦で、キラー・カール・コックスがすぐに凶器を使うので、キラー・カール・コックスは悪いやつだという思いが当然あった。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木が最後まで争った第13回ワールドリーグ戦では、キラー・カール・コックスが、「俺は猪木が優勝すると思う」といい、アブドーラ・ザ・ブッチャーが「俺は馬場だ」と言って喧嘩になり、ザ・デストロイヤーが仲裁するという記事が東スポに出た。
しかも開幕戦で、キラー・カール・コックスはまたずるい手を使ってジャイアント馬場に勝ってしまった。
アントニオ猪木のことを考えたら、ここは絶対に落としたくない試合である。
第11回ワールドリーグ戦でも、ジャイアント馬場はゴリラ・モンスーンに敗れたが、結局アントニオ猪木に優勝をさらわれた。
そんな悪いことを思い出させるジャイアント馬場の敗戦だったので、「やっぱりこいつはジャイアント馬場の敵なんだ」と大いに憤慨したものである(笑)
ところが、優勝戦で、ジャイアント馬場がアブドーラ・ザ。ブッチャーを破り優勝して、徳光和夫のインタビューを受けている時、ザ・デストロイヤーとキラー・カール・コックスがジャイアント馬場に握手を求めにきた。
ザ。デストロイヤーの時は怖い顔をしていたジャイアント馬場が、キラー・カール・コックスに何か声をかけられて、ニコッと心を許すような笑いを一瞬した瞬間を見てしまった。
「おや、これはどうしたことだ」
筆者は子供心に疑問が生じ、その後全日本プロレスができてからも、キラー・カール・コックスは新日本プロレスではなく全日本プロレスに来るようになった。
相変わらず凶器攻撃されても、ジャイアント馬場は、「コックスは相変わらずだなあ」などと、何かキラー・カール・コックスの凶悪ファイトを喜んでいるフシがあり、どうもジャイアント馬場にとってキラー・カール・コックスは敵ではないということがわかってきた。
ジャイアント馬場が、キラー・カール・コックスを相変わらずと言っていたのは、ハーリー・レイスの試合のような様式美を楽しんでいたのかもしれない。
昭和プロレスは、実に奥が深いものである。
日本プロレス事件史 vol.16 王者の宿命 (B・B MOOK 1265 週刊プロレススペシャル) –
コメント