ジャイアント馬場20thメモリアルイベント~ジャイアント馬場展は昭和プロレスの輝いた時代を思い出さずにいられない

ジャイアント馬場20thメモリアルイベント~ジャイアント馬場展は昭和プロレスの輝いた時代を思い出さずにいられない

ジャイアント馬場20thメモリアルイベント~ジャイアント馬場展が、2018年12月29日~2019年1月7日まで、東急百貨店(渋谷区道玄坂)3階イベントサロンにて開催と聞いたので、さっそくお伺いしました。大晦日だったにもかかわらず多くの人が訪れていました。

ジャイアント馬場20thメモリアルイベント~ジャイアント馬場展

入口と興行ポスター

東急百貨店(渋谷区道玄坂)3階イベントサロンの入口です。

ジャイアント馬場展

中に入ると、興行ポスターが掲げられています。

旗揚げジャイアントシリーズ開幕戦(1972年10月22日、両国日大講堂)

両国日大行動で行われた旗揚げジャイアントシリーズ開幕戦です。

旗揚げジャイアントシリーズ開幕戦

ジャイアント馬場、ブルーノ・サンマルチノ、テリー・ファンクが上段に、下段には日本人主力と他の来日外国人レスラーの顔写真が。

日本人の序列は、駒厚秀(マシオ駒)、大熊元司の順ですが、カードを見ると、前夜祭、開幕戦(タッグマッチ)と、大熊元司がフレッド・ブラッシーに連勝しており、大熊元司をナンバー2に引き上げる方針が感じられました。

第8回チャンピオンカーニバル(1980年5月1日、福岡九電記念体育館)

1980年の第8回チャンピオンカーニバル優勝決定戦(九電記念体育館)です。

第8回チャンピオンカーニバル

ジャイアント馬場、テリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャーといった本命陣が取りこぼしを繰り返し。

決勝はジャンボ鶴田と眼帯姿のディック・スレーターで行われ、ジャンボ鶴田が初優勝しました。

エキサイト・シリーズ(1975年3月13日、東京・日大講堂)

エキサイト・シリーズ、東京・日大講堂大会は、ポスターには「特別試合」とありますが、NWA世界ヘビー級選手権がかかっていたことが動画で確認できます。

エキサイト・シリーズ

ルーファス・ジョーンズの乱入で、ジャック・ブリスコの反則勝ちでした。

ジン・キニスキーやハーリー・レイスなら、自分が反則負けをして胸を貸した相手を立てるところでしたが、善玉テクニシャンのジャック・ブリスコではそのような結末にはなりませんでした。

歴代チャンピオンの中では、線が細いといわれるジャック・ブリスコですが、そのへん(反則負け防衛するしたたかさ)がないのも一因かなという気がします。

エキサイト・シリーズ(1981年2月15日、後楽園ホール)

NWA王者ハーリー・レイスとの「ジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合第二弾」です。

ジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合第二弾

結果は2対1でジャイアント馬場の勝ち。

ただし、反則のためタイトルは移動せず、でした。

新春ジャイアントシリーズ(1982年2月4日・東京体育館)

ジャイアント馬場とスタン・ハンセンの初タイトル戦。

新春ジャイアントシリーズ

ジャイアント馬場が32文を飛ばした最後の試合でしょうか。

結果は、両者反則でした。

サマー・アクションシリーズ(1974年7月25日・両国日大講堂)

PWF認定覆面世界一決定十番勝負(USヘビー級選手権)が、ザ・デストロイヤー対ミル・マスカラスを第1戦としてスタートしました。

PWF認定覆面世界一決定十番勝負

ジャイアント馬場が青いパンツを履いています。

ジャイアントシリーズ(1973年10月9日・蔵前国技館)

日本テレビ開局20周年、沖識名引退式、ザ・ファンクス対ジャイアント馬場、鶴田友美のインタータッグ選手権、ザ・デストロイヤー対ミル・マスカラスのPWF認定USヘビー級選手権などが行われました。

ザ・ファンクス対ジャイアント馬場、鶴田友美のインタータッグ選手権

鶴田友美がジャーマンスープレックスで1本取ったときは、ジャイアント馬場が喜んでいましたね。

ジャイアント馬場の像

ジャイアント馬場の等身大の像の横に説明板があります。

ジャイアント馬場の等身大の像

月日がたつのは早いもので、ジャイアント馬場がこの世を去ってまもなく20年となります。
(略)
そのとき、遺された者たちが、あらためて感じたことがあります。

それはジャイアント馬場の「大きさ」です。

身長209センチという体の大きさは周知の事実でしたが、「馬場さんってこれほどまでに、皆さんにとって偉大な存在だったんだなあ」と痛感させられました。

ジャイアント馬場がいかに大きな存在だったかが、展示されているわけです。

ジャイアント馬場がいかに大きな存在

トロフィー、チャンピオンベルト

ワールドリーグ戦トロフィー

会場のちょうど真ん中に、日本プロレスのワールドリーグ戦トロフィーが飾ってあります。

ワールドリーグ戦トロフィー

ジャイアント馬場が、オープン選手権で優勝して獲得したものです。

よく見ると、トロフィーには、すべての大会の全参加レスラーと優勝レスラーの名前が彫ってあります。

全参加レスラーと優勝レスラーの名前

ひとつひとつの名前を読むだけでワクワクして気持ちが上ずってきます。

触ってはいけないものなのですが、触ってみたかったですね。

今回の展示物で、いちばん印象深かったものです。

ジャイアント馬場のガウン

馬場元子さんの花嫁衣装で作ったといいます。

ジャイアント馬場のガウン

チャンピオンベルト

PWFヘビー、インターナショナル、UNの3つのタイトルが飾られています。

三冠選手権

インターナショナル選手権(富士徽章製)は、中央の金属部分以外は交換もしくは修繕をしているはずですが、いちばん年季が入っていました。

もうひとつは、馬場元子さんに贈られたベルトです。

全日本プロレス30周年にあたる平成14年(2002年)、全日本プロレス社長の座を退いた馬場元子さんに、社員一同が寄贈したそうです。

馬場元子さんが社長就任時は、外国人レスラーは居残り、天龍源一郎が復帰し、新日本プロレスと関わり、インディーからレスラーが入れ代わり立ち代わり参加した“カオス”な状態で、面白い時期ではありましたが、馬場元子さんは2億円持ち出した(つまり赤字)という話もあります。

その他展示物

バネル展

ジャイアント馬場の歴戦の写真パネルが展示されていますが、中には馬場夫妻のものも。

写真パネルが展示

馬場夫妻

プロレスファンの中には、元子さんを悪く言う人もいますが、そもそも言われているほど悪い人とは思えませんし、野村沙知代さんと同じで、少なくとも夫にとってはいい妻だったのだとおもいます。

レア物展示

プッシュアップの道具、日本プロレス協会や全日本プロレスの名刺、ジャイアンツのユニフォーム、馬場元子さんが使っていたスマホなどが飾られています。

絵画展示

ジャイアント馬場が趣味で描いていた絵を展示。

それをデザインしたグッズも販売されていました。

ジャイアント馬場展、まとめ

ジャイアント馬場20thメモリアルイベント~ジャイアント馬場展は、日本プロレス時代の展示があったことがよかったとおもいます。

以上、ジャイアント馬場20thメモリアルイベント~ジャイアント馬場展は昭和プロレスの輝いた時代を思い出さずにいられない、でした。

ジャイアント馬場 王道ミュージアム
ジャイアント馬場 王道ミュージアム

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