昭和プロレス懐古房

乗り物酔いをする母親を気遣って、電車で東京見物をしたジャイアント馬場のエピソードは泣けてくる『ジャイアント台風』

乗り物酔いをする母親を気遣って、電車で東京見物をしたジャイアント馬場のエピソードは泣けてくる『ジャイアント台風』

『ジャイアント台風』といえば、『少年キング』に連載されていた、ジャイアント馬場の自伝の体裁をとった昭和プロレスを代表するプロレス漫画である。『タイガーマスク』とともに梶原一騎(高森朝雄)と辻なおきのコンビでプロレス人気に大いに貢献した。

といっても厳密には、ジャイアント馬場人気、といった方がいいかもしれない。

昭和40年代後半、アントニオ猪木の猛追を受けながらも、日本プロレスのエースはジャイアント馬場だった。

それはとりもなおさず、ジャイアント馬場に、もっとも集客力があったからにほかならない。

その原動力が、ザ・グレート・ゼブラになった『タイガーマスク』であり、アメリカで修行をしながらミノル少年との友情も深めた『ジャイアント台風』だったのである。

昭和40年代の昭和プロレスを支えた2作品といっていいだろう。

ところで、梶原一騎については、『梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』(文藝春秋社)の中に、当時の人気作品のエピソードが書かれており、たとえば『タイガーマスク』や『ジャイアント台風』についても詳しく言及されている。

梶原一騎が“転落”のきっかけになったのは、出版関係者に対する暴力事件だったが、気に入らないことは何でも手を出していた無法者ではなく、たとえば作品の作り方も、漫画家の裁量を尊重する度量はあった。

たとえば、ちばてつやが、『あしたのジョー』の最初の部分を原作を無視して描いてもブチ切れず連載を続けたり、『タイガーマスク』や『ジャイアント台風』では、辻なおきにストーリーの一部を“まる投げ”したりしていたという。

梶原一騎先生のストーリーは、実在の人物を使った虚実ないまぜであり、現在ではまったく同じことはできないだろう。

しかし、物語のディテールには人間の孤独や美学といった根源的なテーマが描かれているので、そのような“危ない”ストーリーでも読者を引き込む魅力があった。

『ジャイアント台風』では、昭和30年代後半、アメリカで修行中のジャイアント馬場が、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックとの血戦に備えて特訓を開始。

地面を掘って顔を埋め、その上をデューク・ケオムカの運転するジープが走るというシーンがあった。

ジャイアント馬場と、フリッツ・フォン・エリックの対決は、「オデッサの惨劇」といわれた、マットに血の海ができて両者が滑って転ぶ(笑)プロレス史上最も凄惨な無効試合になったという話である。

この特訓シーンどころか、そもそもジャイアント馬場はその時期にフリッツ・フォン・エリックとは戦っていなかった。

当時の日本プロレスで、ジャイアント馬場とフリッツ・フォン・エリックがドル箱カードであったことから、つくられたエピソードだったのだ。

でも描いた者勝ちで、「オデッサの惨劇」見たさにエリックの来日のたびに大会場は満員。

ジャイアント馬場も人気者になり、連載も人気が出た。

こういうのを、WIN-WINの関係というのだろう。

もっとも、このシーンは、さすがに辻なおきも「これは……」と難色を示したが、梶原一騎が、「この特訓をやったから馬場はあんな顔になったんだよ」で押し通したというから、ジャイアント馬場を内心コバカにしていたのかもしれない。

連載終盤で修正

その意味では、レスラーの顔にリアリティを追求する辻なおきが、なぜか『ジャイアント台風』のジャイアント馬場の母親を、まるでジャイアント馬場の女装のように描くというギャグ漫画のような仕事をしたのもそのノリか。

しかし、それは連載終盤で修正された。

『ジャイアント台風』では、ジャイアント馬場がディック・ザ・ブルーザーを破って、インターナショナル選手権を獲得。

初防衛戦ではルー・テーズを破った。

そこで、ご褒美に社長の芳の里淳三から休みをもらったので、母親を上京させて東京見物させた、というストーリーになっている。

結論から言うと、プロレスの部分も、母親孝行のエピソードも実話である。

冒頭の画像のように、ジャイアント馬場は、乗り物酔いをする母親と、車ではなく電車で移動した。

そこで、ジャイアント馬場の母親のご尊顔も明らかになったわけだが、辻なおきはちゃんとそれを採り入れて、漫画の馬場母の顔が実物に近い形にかわっていた。

けだし、梶原一騎先生がストーリー作りまで丸投げする辻なおき先生らしい対応のはやさであった。

とにかく、昭和プロレスは、エピソードをほじくりかえせばほじくり返すほど楽しくなる。

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