ポスター論考

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アントニオ猪木は日本プロレス時代BI砲といわれたが東京プロレスから出戻時の序列は上田馬之助、ミツ・ヒライの次だった

アントニオ猪木は日本プロレス時代BI砲などといわれたが、豊登の誘いで日本プロレスを離脱したものの、たった1年で日本プロレスに出戻った“出戻り”である。しかし、出戻りが簡単に上に行ったら他のレスラーが黙っていない。出戻ったときの猪木の処遇...
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日本プロレス一団体時代、昭和プロレスお馴染みのレスラーたち

日本のプロレス界は、現在正確な数を把握できないほど団体数が多い。かつて昭和20年代後半の創世記も、日本プロレス界は多団体だったが、力道山率いる日本プロレスに統一された。今日の画像は、その日本プロレス一団体時代のものである。懐古しよう。
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コブラツイスト、ジャイアント馬場とアントニオ猪木から考える

コブラツイスト。相手の身体に自分の手足をブドウのツタのように巻きつけ締め上げる。日本名はアバラ折りという。昭和プロレスではアントニオ猪木の得意技だったが、ジャイアント馬場が使うようになってから必殺技は卍固めに切り替えている。懐古しよう。
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日系レスラー、誰がガチで誰がギミック?

日系レスラー。昭和プロレスの本場アメリカで、日本から移住してきた人をルーツとするレスラーである。彼らは、多くは田吾作スタイルで悪役に徹してリングを盛り上げ金を稼いだ。しかし、ファンタジーの世界は、その経歴すらも怪しい日系レスラーがいる。
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昭和プロレスがアメリカと地続きの頃のG馬場、ヒロ・マツダ

昭和プロレスと一口に言うが、力道山の時代も、豊登の時代も、BIの時代も、新日本プロレスと全日本プロレスの凌ぎ合いの時代も、すべて昭和プロレスであり、それぞれ個別の特徴がある。今回懐古したいのはそのどれでもない、ジャイアント馬場一強時代で...