昭和プロレス懐古房

昭和プロレスの怪奇派レスラーを思い出してみる

昭和プロレスの怪奇派レスラーを思い出してみる
昭和プロレスには、怪奇派レスラーがシリーズに必ずひとりは招聘されていた。興行を盛り上げるには、テクニシャンだけでは駄目なのである。では、怪奇派とはいったいどう定義したらいいのか。とりあえず、怪奇派に入るであろうレスラーを枚挙する。



昭和プロレス的には、第3回ワールドリーグ戦に来日したグレート・アントニオがその最初として数えられることが多い。

神宮絵画館で、バスを引っ張ったというパフォーマンスは、当時衝撃的だったようだ。

ただ、筆者は、その前に、第1回ワールドリーグ戦に来日した、Mr.アトミックこそが、その先駆者ではないかと思っている。

やはり、素顔を隠した覆面レスラーというのは、それ自体ミステリアスである。

つまり、「普通じゃない」=怪奇派というわけだ。

ミスター・アトミックは、第4回ワールドリーグ戦にも参加している。

第5回は、“お化けカボチャ”ヘイスタック・カルホーンが参加しているが、怪奇派と言えるかどうかは微妙かもしれない。

なぜなら、力道山のインターナショナル選手権に挑戦しているし、最終戦では、力道山対キラー・コワルスキーの優勝決定戦の前のセミファイナルで、ジャイアント馬場と対戦するなど、実力的にも高い評価を受けているからだ。

ただ、“巨デブ”という点で、見世物的要素はあったと思う。

第6回には、ザ・マミーがやってきた。

怪奇派としては、グレート・アントニオ以来といっていいと思う。

ザ・マミーは、中が黒人だったので、包帯の白と目の部分の黒が対照的で、最初は大変怖い感じがした。

しかし、後に素顔や、別の覆面で国際プロレスの常連になって味噌をつけてしまった。

ザ・マミーと同じ時に、ブル・カリーも来日した。

ブル・カリーを怪奇派扱いする向きもあるが、ただの毛深いレスラーであろう。

むしろ、このときもザ・マミーのお目付役として来日しており、そうした凄みの方を感じた。

第9回には、グレート・アントニオを小型化したようなパンピロ・フィルポが来日した。

しかし、これといって印象は残っていない。

第12回には、ザ・コンビクトという、ジャイアント馬場より大きいという囚人服のレスラーが来日。

『タイガーマスク』の相手にもなった。

しかし、日本人レスラー上位陣には全く刃が立たず、2度と来日することはなかった。

ワールドリーグ戦のような長丁場の巡業には、見世物的要素のより強いレスラーが必要である。

が、一方で、星取りを競うため、シングルマッチで主力レスラーと当たってしまうため、実力がわかってしまう問題もあった。

生き様が怪奇派だったスカル・マーフィー

リーグ戦に招聘されたレスラー以外では、たとえばスカル・マーフィーなどは印象深い。

スカル・マーフィーは、全身無毛で怪奇派といわれた。

ただ、ジャイアント馬場の16文キックの生みの親ということになっているし、日本ではアジアタッグも取った実績もある。

そして、前職は弁護士というプロフィールといい、レスラーとして狂乱というより、ピストル自殺という最期を含めて、生き様そのものがミステリアスだった。

相棒のブルート・バーナードとの若い頃のモノクロ画像は、凄みを感じるシリアスなコンビという印象である。

ふたりとも、怪奇というより、レスラーとして凄みのあるいい表情をしている。

ザ・シークは、プロレスの「啓蒙書」などにイラスト付きで書かれている説明では十分怪奇派だったが、全日本の最強タッグで毎年フル出場してしまい、ただの老いた悪役になってしまった。

ワールドリーグ戦にも参加したが、グレート東郷も、筆者には怪奇派だった。

血を流した幅のある輪郭で、髭面の薄ら笑いを浮かべた流血試合ばかりしており、食事のときにグレート東郷のイラストを思い出すと、食欲が失せた。

思うに、悪役は、長くそのテリトリーにいてはだめである。

それと、イメージを大切にしてほしい。

昭和プロレス版 悪魔の辞典 –

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