京愛子と岡田京子時代の女子プロレスが登場『関東テキ屋一家』


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京愛子と岡田京子時代の女子プロレスが登場『関東テキ屋一家』
京愛子と岡田京子。これは昭和プロレスファンでも、必ずしもご存知でないかもしれない。黎明期の女子プロレスを競ったツートップである。その頃の動画はもはや残っていないと思われたが、『関東テキ屋一家』(1969年、東映)のお祭りシーンに登場した。
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80~90年代は『赤いベルト』といわれたWWWA世界シングル王座を争い、AGWAインターナショナル・タッグ選手権をともに有したライバルである。

京愛子は、松永健司元全女副社長夫人の姪で、日本人初のWWWA世界シングル王者(第3代)として22度の防衛記録を持っている。

一方、同期の岡田京子については、Wikiにも詳しい記録は記載されていない。

動画を見る限り、ドロップキックを連発していた。

一方の京愛子は、フライングヘッドシザース、回転エビ固めなど、こちらも華やかな技を繰り出していた。

いずれにとても、あくまでも京愛子がトップという会社の方針だったのか、WWWA世界シングル王座には就いていない。

日本プロレス時代の、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のようなものかもしれない。

画像では、岡田京子と柳みゆき、京愛子と巴ゆき子がタッグを組んでいる。

岡田京子と柳みゆき
岡田京子と柳みゆき

京愛子と巴ゆき子
京愛子と巴ゆき子

柳みゆきと巴ゆき子は、引退後、団体に残ったので、こちらはご存じの方もいらっしゃるかもしれない。

岡田京子の脇をぼかしているのは、腋毛を剃っていないからである。

この頃は、女性も脇の毛は問題にしなかったのか。

それとも、脇毛を売り物にするタレントがかつていたが、女子プロレスラーが売り物にする“お色気”のひとつとして脇毛があったのかは定かではない。

いずれにしても、マッハ文朱が入団するまでの全日本女子プロレスは、同族経営の会社による、アングラなお色気ジャンルとして興行が行われていた。

全日本女子プロレス

そして、フジテレビで定期放送がついたのはずっと後で、お祭りの縁日ほか、巡業という名のドサ回りが主な興行だった。

女子プロレスを舞台として『関東テキヤ一家』(1969年、東映)は、菅原文太が新東宝→松竹→東映に移籍して、初めての主演作品と言われている。

タイトル通り、テキ屋の話である。

露天を仕切るテキ屋が、石井富子率いる女子プロレスの興行を打つことになり、当時旗揚げ2年目だった全日本女子プロレス協会の、看板選手のコンビによるタッグマッチが劇中で行われたという設定だ。


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対抗戦ブームまでにはいろいろあった昭和プロレス女子

女子プロレスは平成に入った90年代以降、対抗戦を行い、全女が崩壊し、その後は対抗とか合流というより、半ば液状化したような状態だが、この60年間にはさまざまなことがあり、それは、『女子プロレス60年史―マッハ文朱からビューティ・ペア、クラッシュ・ギャルズ…女子プロレス60年の軌跡』に記されているので、とくに昭和プロレスの部分について、かいつまんでご紹介しよう。

今でこそ、男女ミックスドマッチが当たり前のように行われているが、力道山→ジャイアント馬場・アントニオ猪木らの全盛期である70年代前半までの女子プロレスは、男のプロレスとは全く別の存在であった。

それが、『スター誕生!』の決戦大会に、山口百恵とともに出場しながら、スカウトの声がかからなかったマッハ文朱の入団で一変する。

定期放送を開始したフジテレビは、スポーツ部ではなく、芸能部が、全日本女子プロレスの中継を担当。

契約条項に、選手に歌を歌わせることを入れた。

マッハ文朱がタレント活動のために退団すると、今度はジャッキー佐藤とマキ上田のビューティ・ペア、さらにライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュギャルズなど、歌うスターが次々登場するのは、そうした経緯があるからだ。

その間に、彼女たちと対決する、ダンプ松本など、悪党人気のレスラーも育つ。

その始まりは、ビューティー・ペアに対抗した、阿蘇しのぶ、池下ユミからであろう。

しかし、彼女たちトップが引退すると、客足は落ちていく。

そこで、1990年代前半の団体対抗戦にすすんでいったわけだ。

本書は、それらの歴史を写真と解説文で振り返りながら、関係者のインタビューも入れて構成。

全日本女子プロレスの広報担当だった、ロッシー小川氏がインタビューで、同族会社のむずかしさを語っている。

「全女っていうのは松永国松さんがマッチメーカーでやっていたんだけど、対抗戦のアイデアは100%自分が考えていました。でも会社だから、小川という一担当が、松永家よりしゃしゃり出ちゃダメなんです。」

そのロッシー小川すらいなかった1960年代の女子プロレスを、『関東テキ屋一家』と『女子プロレス60年史』で確認されてはいかがだろうか。
女子プロレス60年史―マッハ文朱からビューティ・ペア、クラッシュ・ギャル (B・B MOOK 1077) -
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