ブルーノ・サンマルチノの訃報が話題に。1967年3月2日大阪府立体育館のジャイアント馬場戦など熱闘を繰り広げた

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ブルーノ・サンマルチノの訃報が話題に。1967年3月2日大阪府立体育館のジャイアント馬場戦など熱闘を繰り広げた
ブルーノ・サンマルチノの訃報が話題になっている。米ペンシルバニア州ピッツバーグで死去。死因は不明。享年82歳。米プロレス団体WWEの公式サイトや、アメリカのの複数メディアが伝えたという。昭和プロレス史に残るジャイアント馬場との激闘が懐かしい。



ブルーノ・サンマルチノはイタリア出身。長年WWWF世界選手権社として君臨し、MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)の帝王とも呼ばれた。

2013年にWWE殿堂入りしている。

ブルーノ・サンマルチノの死因は不明だが、ここ数カ月は健康上の不安を抱えていたという。

家族に見守られて息を引き取ったと報じられている。

先日、Facebookのタイムランを見ていたら、ブルーノ・サンマルチノの銅像が、生まれ故郷のイタリアのピッツォフェッラートで、本人も見守る中、公開されたという動画が流れてきた。

ブルーノ・サンマルチノの銅像

イタリア人として、アメリカの中でも本場中の本場、ニューヨークのチャンピオンになったことを記念するというものだった。

日本では、『1964年のジャイアント馬場』(文藝春秋社)のインタビューに登場したのが最後となった。

初出は、『週刊大衆』(2014年5月5日号)である。

『週刊大衆』(2014年5月5日号)

書かれていることを要約すると、

・ババとの関係は、ヴィンス・シニアとの関係が悪くなっても大切だったからイノキのところにはいかなかった
・ババ以上のビッグ・ボス(プロモーター)を知らない。ババはレスラーから悪口を言われたことのないただひとりのプロモーターだったと思う。
・ニューヨーク時代はババのパーソナリティは全くわからなかった。「こいつはいいやつだ」と思うようになったのは初めて日本に行った1967年3月だよ。
・お互いの若手時代、「いつかふたりでMSGのメインイベントで戦おう」と誓い合った記憶はない
・ババの英語はノット・グッド。会話をするのは難しかった。日本に来てジョー樋口を通訳にして初めて本音で話し合った。リング外でも誠実で信頼できる人間。キャデラックをプレゼントしたこともある。
・ババがひとつの都市にとどまり、フレッド・ブラッシーのようなマネージャーがついたら、もっと大きなスターになった。でも日本で一番のレスラーとなって何十年にもわたって成功したわけだから帰国してよかったのかもしれない。

要するに、プロモーターとして、レスラーとして、人間としてのジャイアント馬場に高い評価を与えている点は予想通り。

友情が始まったのが、アメリカ時代ではなくジャイアント馬場が帰国してから、という点がこれまで伝えられていたことと違う「新事実」だったわけだ。

それが本当だとすると、これまでのプロレスマスコミや、『ジャイアント台風』の話が間違いだったことになる。

だが、それだとブルーノ・サンマルチノは、すでに初来日(1967年)か2度目(1968年)の来日でキャデラックをジャイアント馬場に送ったことになってしまう。

いくら気前が良くても、さすがにそれはないのではないか。

まあ、これはいずれにしても「時期」の問題で、ジャイアント馬場とブルーノ・サンマルチノの良好な関係に間違いはなかったということだ。

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東洋の巨人と人間発電所の激闘

それはともかくとして、やはり日本では、日本プロレス時代の来日が印象に残る。

有村架純がヒロインを務めたNHK連続テレビ小説『ひよっこ』では、ジャイアント馬場が、ブルーノ・サンマルチノに16文キックを放っている写真のポスターが登場した。

ひよっこ

厳密に言うと、このポスターは、その当時に作ったものとしては矛盾があるようだが、

有村架純がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説『ひよっこ』の26日の平均視聴率が22.2%で、番組最高だったことが、スポーツ紙でとりあげられ話題になっています。みなさんは、ご覧になっていますか。私としては、ストーリーや視聴率よりも、劇中でさりげなく貼られたポスターが気になります。 今日の話..

いずれにしても、このときのジャイアント馬場対ブルーノ・サンマルチノ戦(インターナショナル選手権)は盛り上がった。

1967年3月2日には大阪府立体育会館、3月7日には東京で行われている。

結果はどちらも引き分け。

大阪府立体育館の試合は、その後もテレビでしばしば放送されている。

1967年3月2日、於大阪府立体育会館
インターナショナル選手権
ジャイアント馬場(1-1)ブルーノ・サンマルチノ

ジャイアント馬場対ブルーノ・サンマルチノ

32文もなければ抱え上げるバックブリーカーもない試合だったが、逆に言えば、必殺技を出さずに60分もたせた両者のレスラーとしての巧さが際だった一戦である。

クライマックスは、ブルーノ・サンマルチノがジャイアント馬場をロープに飛ばし、戻ってきたとこころをベアハッグした場面だ。

その瞬間、昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場は、「どぉあーっ」という野太い声を上げ、体を震わせて観客に苦しみを知らせた。

観客が一点集中したところで脳天チョップの体制。

手刀が振り下ろされるたびに、観客は頭を振ってかけ声をかける。

三発目のジャンピングによる一撃でサンマルチノは倒れ、昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場もベアハッグのダメージを表現するため、そのままマットに巨体を受け身なしで預ける。

ジャンピング唐竹割りが「三発目」というのが絶妙である。

一発目から出すと説得力が薄れ、四発目以降になると間延びする。

「イチ・ニノ・サン」で出したことで、観客の期待と一体になり、それが観客に対する説得力や充足感につながっているのだ。

ジャイアント馬場、巧すぎ。

もちろん、相手の人間発電所ブルーノ・サンマルチノにも、そのへんのセンスがなければそれは成立しない。

いずれにしても、素朴な技の応酬から大男が肉弾相打つ様を見事に表現したわけだ。

昭和プロレスはそれだけ奥が深いのである。

ブルーノ・サンマルチノさんの生前のご遺徳をお偲び申し上げたい。

ブルーノ・サンマルチノ ? WWE写真8 x 10の殿堂B / W
ブルーノ・サンマルチノ ? WWE写真8 x 10の殿堂B / W

1964年のジャイアント馬場
1964年のジャイアント馬場

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